東京高等裁判所 昭和29年(う)2363号 判決
被告人 中沢啓
〔抄 録〕
検事田中良人の控訴理由及びこれに対する弁護人Fの答弁は、いずれも末尾に添付してある同検事作成名義の控訴趣意書及び同弁護人作成名義の答弁書と題する各書面記載のとおりであつて、これらに対して当裁判所は左のごとく判断する。
よつて、記録にあらわれた諸般の情状に当審における証拠調の結果をも加えて原審の科刑を検討するに、第一、まづ原判示事実を分析してみると、
(一)第一から第五二までの各事実は、昭和二四年一二月一五日から翌二五年七月一七日までの約八箇月の間の犯行であつて、当初は一週間から二週間、やがては二、三日の間隔を置き、そして連日、はげしいときは一日に連続して三件に及び殆んど深夜から夜明にかけて行はれている。
(二)その手口は、いずれも他人の住宅にいわゆる深夜の忍込み窃盗を企てたことを主軸とした単独犯であり、右五二件のうち窃盗の目的を遂げて、それだけで終つたものが十七件であつて、必しも常に暴行、脅迫、傷害、強制猥褻又は放火を伴うものではない。そして右一七件の被害は合計物品三十数点、現金約五万円である。
(三)金品を窃取した後、家人に発見されて逮捕を免れるための準強盗は二件、当初から強盗の所為に出でたもの三件であつて、そのうち準強盗の一件は傷人を伴い強盗の一件は未遂に終つている。そして窃盗から強制猥褻の所為に及んだもの四件、(内致傷一件)準強盗から強制猥褻の所為に及んだもの五件(内傷人三件)である。
(四)被害者が受けた傷害の程度は、右五件のうち第二七の(1)が全治約一月を要するもので最も重く、他はいずれも全治約一週間から三週間までであつて、必しも重傷ばかりではなく部位としてはそのうち強制猥褻による婦女の局部の創傷は検事所論の第四一の(2)(約三週間の療養を要する程度)だけである。
(五)強制猥褻については、大部分は局部又は乳部等を露出させようとして、就寝中の婦女の着用していた寝衣、ズロース等を切り取る等のいわゆる窃視的所為に終つたのが大部分であつて、直接局部に暴行又は傷害を加えたのは九件中三件であつて、全部にわたつて強いて姦淫する意図又は所為はうかがわれない。従つて相手方婦女の受けた物質的被害は必しも甚大といわれない。
(六)放火については、全部で二一件のうち、いずれも窃盗の目的で屋内に侵入しようとしたが入れなかつたとか、金品を物色したがめぼしいものがなかつた等の理由で憤慨し、又は嫉妬心で放火したのが一七件、金品を窃取してから証拠をなくするため、又は家人に気付かれて放火したのが四件であつて、放火だけに終つたもの一五件(内未遂三件)窃盗放火が五件(内未遂二件)、そして強盗放火未遂が一件である。
(七)右強窃盗による被害は大部分は現金であつて、前に掲げた(二)の窃盗だけの分は別にして、合計約四万円であるから、本件全体から見て強窃盗の財産上の被害は必しも甚大といわれない。又強盗傷人、又は強制猥褻致死の犯行はその態様と結果からみて、必しも残虐兇悪な所為であるとはいわれない。
(八)放火については、合計二一件のうち、未遂六件、既遂のうち家屋等の一部を焼いたのにとどまるもの六件、全焼したもの九件(内全焼四戸が二件、同三戸が一件、二戸が二件、そして一戸が四件、合計一九戸)であつて、最大の被害は検事所論第二四の放火である。なお放火による焼失被害総額は約一三〇〇万円に達し、第一六の(2)の放火においては、検事所論のごとく、被害者方主人が衣類を運び出そうとして焼死するに至つた悲惨な結果をもひき起している。すなわち放火犯としてはその回数及び被害等からみて、相当重大な犯罪というべきである。
第二、つぎに被告人について、その主観的立場からみると、被告人の生立、前科、家庭、性格、性生活、身体及び精神の現在証候、並びに、本件犯行の動機等をつぶさに検討するに、当審における鑑定人林髞が鑑定書に記述するところの、
(一)被告人は、素質的に情性稀薄、意志不安定、ある程度短気、衝動的の傾向を示す性格的偏倚者であり、過去においても現在においても、とくに精神的症状はなく、知能的にも正常の域にある。もちろん本件犯行時においても同様である。
(二)被告人の犯行は、多傾的ではあるが、窃盗を主軸とするものであり、強制猥褻はそれに伴う偶発的、機会的なものである。それは窃視症的傾向の行為ではあるが、性的倒錯といい得る程度の異常者ではない。
(三)窃盗には動機として環境的要因もあるが、放火傷害等殆んどその性格的傾向に基く衝動的の行動であり、それは窃盗や窃視的性行為の中にも、その欲求の阻害されることを契期として、とつさに爆発する行為と思はれる。またその犯行が容易に習慣的となるところもその素質的要因によるところが多い。
(四)被告人の犯行は、とくにその衝動的な放火、傷害という点において、危険性の少くないことは確かであるが、甚しく攻撃的残虐的の傾向ある強盗、殺人、強姦殺人等をなすものに比すれば、犯行の主傾向は消極的であり、比較的には兇悪性の少ないものといい得る。
との見解はおおむね妥当であつて採用せらるべきである。以上のごとき諸般の情状を綜合して考えると、本件犯行が社会に及ぼした脅威が深甚であり、犯罪の結果とくに放火による被害は甚大なるものがあるとしても、被告人が検事所論のごとく、性格破綻者であり、全く改過遷善の余地なき兇悪無比、天人共に許すべからざる所業の犯人であつてその性格がとうてい治癒し難いものであるとは認められない。
それ、新憲法の基本的人権の享有と、個人の尊重の精神にかんがみるに、死刑は、その犯人を生存せしめることがいちじるしく公共の福祉に反し、死刑の威嚇力によつて犯罪の一般予防の目的を達成し、死刑の執行によつて特殊の社会悪の根元を絶つためまことにやむを得ざる窮極の刑罰であつて、それは、社会防衛上真に必要の最少限度にとどむべきものである。本件についてこれを見るに、前説示のごとく、犯行自体は極めて兇悪残虐とはいわれず、その被害も直接人命に及んだものではなく、犯行の主軸はいわゆる深夜の忍込窃盗であつて、他の犯罪はこれに伴う偶発的機会的のものである点、したがつて量刑の中心が生命犯でなくして公共危険及び財産犯である放火罪である点、及び被告人が正業を営んでいたものであつて、実母が現在し、妻と二子を擁する一家の主人であり、その矯正教化も全く見込なきものとはみられない点等からして、ちゆうちよなく、死刑を選択すべき事案とはいわれない。むしろ、にわかにその生命を奪うことなく、懲役刑により被告人の更生を期することが、本件処罰の目的に合致するものというべきである。
しからば、原審が被告人に対して死刑を選ばずして、無期懲役を言渡したのは、その量刑まことに妥当であつて、軽きに失するものとはいわれない。それで死刑を主張する検察官の所論は採用するに由なく、論旨は理由がないというべきである。(なお前説示に引用した鑑定の結果によつても明らかなごとく、被告人は本件各犯行の当時いずれも正当の精神状態にあつたもので、心神耗弱者又は心神喪失者の所為とは認められない。)
(中野 尾後貫 堀真)